イベント EVENTS REPORTS 総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日 総文のアイデンティティと「これからの10年」

総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日

総文のアイデンティティと「これからの10年」

チラシ

総文の行方

茂 牧人
近代という枠組みの解体――トーク・イベントと対談を振り返って

私どもの学部は、2008年4月に開設しました。2018年4月でちょうど10周年を迎え、こうして鳥越けい子先生を中心にして10周年行事を行ってきました。この行事には、私どもの学部の多くの先生が参加して、そこでトーク・イベントを開催して、過去の10年間を振り返り、今後の10年を見据えるという作業を行いました。この最終イベントでは、その総括を行うべきでもあると思います。私は、この3回のトーク・イベントと福岡伸一先生と坂本龍一氏とのトーク・イベントを通して、一つの方向が見えてきたと思っております。それは、今が時代の大きな変化の中にいるということ、「近代という枠組みの解体と克服」にあるということだと思います。短い時間の中ですが、この「近代という枠組みの解体」がどのようなものであり、今後どのような方向に進んでいくべきなのかということを考えたいと思っています。

茂 牧人Makito Shigeru

総文・学部長・教授。上智大学文学部哲学科卒。上智大学大学院哲学研究科博士前期課程修了。博士後期課程単位取得退学。京都大学大学院文学研究科文化・思想学専攻より博士号取得。京都大学博士(文学)。研究分野は、近・現代ドイツ哲学、宗教哲学。著作:『ハイデガーと進学』(知泉書館)。

福岡伸一先生と坂本龍一氏との対談において、坂本氏は、いろいろなエピソードを交えながら、音楽における近代の枠組みの解体の話をなさいました。近代の音楽の枠組みは、バッハが創設しました。2小節から4小節へ、4小節から8小節へという楽譜の確立ができたのは、バッハからでありました。バッハを超えるのは、なかなか難しいのです。しかし、ジョン・ケージ(1912年―1992年)が、解体しようと様々なことを試みました。極め付けは、「4分33秒」という曲でした。演奏者は、全く楽器を弾かない、最後まで沈黙を通します。坂本氏は、これは、バッハの確立した近代の音楽の枠組みの解体、楽譜の解体であったと仰っておられました。そのために、ケージは、鈴木大拙から禅を2年間学んでもいたのです。その4分33秒の間の沈黙は、鈴木や西田がいう「無」であったかもしれません。
しかし、坂本氏は、そこからさらに、ジョン・ケージは、近代の音楽の枠組みを解体しようとしたが、それでも「4分33秒」という時間だけは残ってしまった。どうしても、時間というものを取り除くことができなかった。坂本氏は、その時間をも取り除いてみたいと仰っておられたと記憶しています。その背後には、やはりベルクソンの『時間と自由』という著作の中の「時間を空間化してはならない」という命題が響いていたと思います。音楽を4分33秒という時間で現すと、それは、空間化していることになります。時間の空間化は、近代の産物です。それを超えた時間の把握仕方である、「純粋持続」としての音楽を取り出したいと仰っているようにも聞こえました。

私は、その他にも、11月17日に行われたトーク・イベントでの、飯笹佐代子先生の、難民が、国境を超えて、地中海を超えてイタリアへ渡って行く姿や、オーストラリアへ渡っていく姿、ストイロヴァ先生の国境を超える話が印象に残っています。かなり忘れてしまいましたが、やはり国境という近代が造った境界線を越えざるを得ない人々がいる、あるいは、ストイロヴァ先生ご自身が国境を超えてこられた人であったということです。私どもの世界には、目に見える形で境界線がいくつも引かれています。その境界線を越えた普遍的な次元が問われていると思います。
さらにいえば、その境界線というのは、目に見える人間の世界と目に見えない異界の世界、霊の世界との間の境界線かもしれません。沖本先生は、祭りの世界を通して、人間の世界と人間を超えた世界との交信を伝えてくださいました。それは、究極の境界線の克服であるともいえると思います。

また第1回目のトークセッションのときに、伊藤毅先生が、渋谷の街の話をしたときに、司会の小林康夫先生が、「渋谷の街の中心は、底が抜けている無底になっていますよね」と仰っていたことが、記憶に残っています。それも、ただ、見える渋谷の街の背後に見えない部分によって町が息吹をえていることを示唆するものであったと思います。

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