イベント EVENTS REPORTS 総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日 総文のアイデンティティと「これからの10年」

総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日

総文のアイデンティティと「これからの10年」

チラシ

第2部:パネルディスカッション

「これからの10年」に向けて

モデレーター:小林康夫、パネリスト:竹内孝宏、イヴォナ・メルクレイン、中野昌宏 (企画責任者)
これからの10年と総文
竹内

今の話で、アイデンティティを確保・更新するには越境しなきゃいけないということですと、総文のアイデンティティといった場合、10年をかけて総文そのものがどこかへ向かって横断しているってことなんですかね。

小林

どこへ?

竹内

いや分かりませんが……。

小林

どこか遠くに境界線があるのじゃなくて、それが向こうからやってくる可能性がありますね。つまり「これからの10年」というのは、とてつもなく難しい時代でしょう。今までの10年間の延長線でうまくいくとは限らない。今後、世界のあらゆる公共的枠組みが、ネイション・ステーツから始まって、資本主義やさまざまな制度が臨界地点・崩壊地点に達している。温暖化という環境問題もある。そうした危機的な状況にあって、危険な境界線が向こうからやってくる可能性がある。
それに対して、総合文化政策という名を掲げるこの学部であれば、そうした状況すら味方につけることができなくてはいけませんね。「向こう側のどこかの新しい場所に行きましょうね」ではなく、近づいてくる境界線を前に、何かやるべきことがあるんじゃないでしょうか。

竹内

卑近な例で言うと就活なんかがそうですよね。この10年で、従来のやり方がまったく意味がなくなると思っています。
それと、文化をどう定義するか、いろいろあると思うんですが、例えば文化は自然の上に人間が築き上げた第二の自然だとすると、その基盤となる自然そのものがおかしくなってきていますから当然、文化そのものも再構築する必要がある。その一方で、2045年に人工知能が人間の知性を超えるシンギュラリティに到達するってことも言われていて、従来の人間の文化の常識が全然通用しない世界がやがてやってくるかもしれない。
とにかくいろいろなことが今後10年の間に起きるはずで、予測して備えておく必要があります。ただ、あまりにも先を見て動くわけにもいかず、難しいですね。

小林

具体的に、こういう授業をしようとか、こういう研究体制や教育システムを作ろうとか、ご意見はありませんか。

中野

メルクレイン先生が先ほどおっしゃいましたが、協定校というシステムを有効に使わなければいけませんよね。トビタテ!留学JAPANに「留学に行って後悔した人は見たことがない」という宣伝がありましたが本当にそうで、やはり外国に行くといろいろな発見があるし、問いが立ちます。他の大学も3年次に強制的に行かせるとかいろいろ工夫していますから、総文でも積極的に考えていく必要がありそうです。

竹内

「海外に行きなさい」っていうのもそうですし、口に出して言うとつまらないですけど、外国語は2カ国語ぐらいできたほうがいい。絶対必要だと思うんですね。

メルクレイン

青山学院大学は東京の渋谷というクリエイティブ・シティのど真ん中で、とても良いロケーションにあります。すでにいろいろな先生方がやっておられますが。机の上だけの勉強ではなくて、とにかく外に連れて行く。ラボ・アトリエももちろん貴重な文化実践ですが、博物館や美術館の見学など、地味な基本的なところから文化を学生たちに全身で感じさせると彼らの興味が湧いてきて、それに伴い学生と教員の信頼関係が蓄積されると、難しい論文を投げてもきっと読んでくれます。

小林

私からもひとこと。現場を考えたとき、現場って抽象的なものではない。そこで一番大事なことは人がいるってことですね。嫌なやつもいれば、いいやつもいるんだけど、やはり素晴らしい圧倒的な人に出会うというのが、若い人にとっては最も大きな経験だと思います。
アーティストであれ、スポーツ選手であれ、政治家であれ、その人がこのように生きてここにいるというのが見えるような知的な眼差しで、人と出会う。ただ単に芸能人のファンみたいに近くで見て騒ぐというのじゃなくて。本当のクリエーションをしている人は、そこにいるだけで迫力が違います。まったくその場が変わってしまうんです。そういう人と出会う機会を総文の教育の中で与えられれば、今後10年いろいろな危機が来ても、それを乗り越えていく力が出るんじゃないかと思います。

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