イベント EVENTS REPORTS 総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日 総文のアイデンティティと「これからの10年」

総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日

総文のアイデンティティと「これからの10年」

チラシ

第2部:パネルディスカッション

「これからの10年」に向けて

モデレーター:小林康夫、パネリスト:竹内孝宏、イヴォナ・メルクレイン、中野昌宏 (企画責任者)
境界線を越えよ
小林

境界線を越えなくちゃいけないっていうことですよね。境界線を越えて違う現場に入る、私の日常ではないところに身を置いて初めて、感覚が全面的に解放されて問いが出てくるんです。日本の中でも、自分がいつも住んでいるところ――たとえよく知っている青山の現場であっても、それがある境界線を越えた現場になった途端に、まったく違った感覚を持たざるを得ない。その感覚から問いが出発する。だから強制的に境界線を越えさせればいいんですよ。

竹内

越えるか、あるいは、それこそ「偽善」でもいいから設定してしまうか。やせ我慢で「ここには境界があるんだぞ」と、とりあえず言ってみる。
それって、ほとんど世界に対する関わり方の問題で、そういうときにやはり哲学が重要です。「世界は驚きに満ちている」ということを、それこそ肌身で感じ取ってもらうために、総文と哲学はあるんだろうなと勝手に思っているんですけど。

小林

哲学とはもともと、世界に対する驚きをいかに持つかであって、そういう意味では、中野先生が第1部で哲学は問題解決に役立つとおっしゃったけれど、むしろ役に立っているような世界を全部ぶっ壊して、役に立たない問いを学ぶのが哲学です。その問いを立てることを自分なりに学ぶために、ハイデッカーなり、プラトンなり、 ウィトゲンシュタインなり、ヴェイユなりを自分で学べばいい。別に「ヘーゲルはこう言ってます」と言うために哲学書があるわけじゃない。

中野

境界を越えるという話に引きつけてお話ししますと、ジョーゼフ・キャンベルという神話学者が世界中の神話を集めて分析した『千の顔をもつ英雄』でこんなことを言っています。英雄神話はだいたい次のようなパターンになっていると。
まず、自分の今住んでいる現実の世界から異世界に足を踏み入れるときは、誰かが呼びに来ます。超自然的な何かが。最初は「今の自分の生活があるから行けない」と断るんですね。でも結局行くことになって、そこでいろんな試練が待ち受けています。穴に捕らえられたり、女神様が出てきたり。そして最後、ラスボスと戦って、戦利品を得て自分の現世に戻ってくる。
最初はごく普通の人なのに、境界を越えて異世界を一周りして戻ってくると英雄になっている、というのが英雄神話のパターンです。ヒーローズ・ジャーニーと言いますけれど。実はこの話を聞いてジョージ・ルーカスが作ったのが『スター・ウォーズ』です。
やはり境界を越えさせるところに、まず抵抗があるわけです。見慣れた世界にいたい。それをどうやって引き剥がして、境界線を越えさせるか。よほど強い誘因力があるか、強制力か、いろんな工夫が必要だと思いますが。

英雄神話のパターンでも、境界線を越えるには、強い誘因力や何らかの強制力が必要です
小林

行って帰ってくるから英雄なわけで、これは部族的社会には必ずあったいわゆるイニシエーション(通過儀礼)ですね。本来は大学とか高校は、それが使命なんですよね。英雄神話では境界線を越えて戦利品を持ち帰ってきますが、本当はなんのために行くと思う? 戦利品を得るために行くんでしょうか。

中野

いや戦利品は結果論ですよね。

小林

結果論ですよね。では、なんでしょう?

メルクレイン

アイデンティティじゃないですか。

小林

まさに! アイデンティティの発見というのがイニシエーションの意味で、自分が誰であるかを探すために、境界線の向こう側に行って、変な怪物なんかに出会う。でもある意味では、その怪物が私なのだということを認識できて初めて戻ってこられる。そのあとは大人として生きて行っていいよと、そういうふうに神話はできているんですよね。
英雄神話じゃなくて大衆芸能ではどうですか、竹内さん。かなり無茶振りですけど(笑)

竹内

旅の博奕打ちである旅打ちの話などがそうですね。ヤクザ映画のフレームに落とし込むと、「どこそこの組長のタマ取ってこい、ムショに入って戻ってきたら若頭にしてやる」って命じられる、これですよ。境界を越えて戻ってくると、新たなアイデンティティが獲得されるというストーリー。

小林

学生に現場を与える意味はそこにあります。単に問題を解いたり、「難しい方程式を解いてください」というのではなくて、現場で他者と出会い、自分の生まれ育った環境とは違う環境の中でクリエーションしなきゃいけないっていうときに、初めて自分がなにであるかが少しだけ分かる、と。総文のラボ・アトリエ実習とはそういう教育体験の場所ですよね。それこそが「総文のアイデンティティ」です、とか言いましょうか。

現場で他者と出会い、クリエーションすることでアイデンティティを獲得できる

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