イベント EVENTS REPORTS 総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日 総文のアイデンティティと「これからの10年」

総文創設10周年記念 クロージングシンポジウム|2019年3月2日

総文のアイデンティティと「これからの10年」

チラシ

第1部

総文のアイデンティティをめぐって

司会:中野昌宏、パネリスト:杉浦勢之、間宮陽介、梅津順一 (企画責任者)
総合の人、ベンジャミン・フランクリン
梅津

私は少し違う角度からお話します。問題解決なり型を作るためには職人的な部分が重要じゃないかと常々考えています。自分で工夫して体を使って取り組んでいく、何かを作り上げていく、そんな資質といいますか、生き方としての型ですよね。
総文の型を考えるにあたって、ヒントを与えてくれるのがベンジャミン・フランクリンです。彼は一般にはアメリカの独立の指導者として知られていますが、もともとは印刷屋さんで職人なんですね。印刷用のインクを作ったり、植字工をしたり。紙幣を印刷する競争入札にも勝っているんです。エッチングの能力もすごくありました。さらには新聞を発行し、高等教育は受けていなかったのですが、文章を書く。いろいろ工夫して、アメリカの新聞に最初にお色気記事を書いて、うけたというような話もあります。このほか発明家としても有名で、老人用の二焦点眼鏡を発明しています。ガラスを並べて回転させて、摩擦で音を出すアルモニカという楽器も発明して、作曲もして。考えようによっては総文の理想の人間です。

中野

一人でいろんなことをやる人は、昔はいましたけれど、だんだん細分化されていって、その狭い専門しか知らない、いわゆる専門バカになりがちですが、そうならないことが必要なんじゃないかなということですね。

杉浦

そういう制度的なところでは、総文は学部ではできるだけ横断的な教養を増やしてもらいたい。ただし分かりやすい教養はいらない。10年後になって最初の謎解きがあって、20年後にもう一度、その真の意味に気づくような教養ですね、それをどれだけ身につけさせられるか。それだけで人生を生きていく武器になります。
大学院に関しては、これはやはり先ほどから話題にのぼっている型がないとまずいですね。ただ総合文化政策学部の先生方はそれぞれ従来型のディシプリンの学部できちんと仕事をされてきた方が集まっていますので、研究者養成については、まずは本気になって従来の型を徹底的に仕込めばいい。まずはそこまで行って研究者として成立させる。その先に現代においてはそれらの型では超えられない問いが生まれるはずです。そのうえで、間宮先生が偽善者たれとおっしゃいましたが、我々は総合文化政策学部があるんだという「偽善」を持たなければいけない。「来たるべき学問」かもしれないし、閉じることがないかもしれませんが、従来の型で育てた学生・院生たちが、問うに値する新たな課題を通じてやがて知を横断し、新しい型に収束していくような、そういう「学」があるんだという「偽善」を、あるいは「信念」をまずは我々教員が持ち続ける。文明の転換点に入ったこの時代は、そのためのやせ我慢が必要だと思いますね。

10年後。20年後に真の意味に気づくような教養こそ人生の武器になります
間宮

「武士は食わねど高楊枝」という気概が必要でしょうね。型について言いますと、剣道や武術にはたいてい型がありますね。北辰一刀流とか。それに対して、幕末の薩摩は「型なんかどうでもいい」と。長い刀を振り回して相手を叩きのめす、勝てばいいと槍でつく。どっちが強いかと言ったら、槍で刺したほうが、どんな型を持っている人よりも強いはずですが、では型はないほうがいいかというと、人間というのは文化を作っている生き物で。型は一つの文化、世界を作っていくわけです。ですから実用性にはあまりこだわらず、総文なりのひとつの型を作って、あるいは今度は自分なりに型を壊していってもらいたい。

中野

何に役立つか分からない基礎研究と、目的が決まっている応用研究があります。今の話はその基礎研究の部分をどうするかという問題だと思うんです。何に役立つか分からないので学生のモチベーションに結びつきにくい。その型を習得するしんどいところにどうやったら誘導できるでしょうか。ヒントがあればおうかがいしたいのですが。

間宮

子供の成長に欠かせない栄養素ってありますよね。野菜が嫌いとかなんとか言っていると体に害があるわけです。そこでニンジンを切り刻んで混ぜて食べさせるとかいろんなやり方がありますが、とにかく食べさせないといけない。学問的なことについても、基礎的なことってどうしたって必要です。そのときは役に立たないかもしれないけれど、人間の頭のキャパシティを広げていくわけですから。学生の好き嫌いで、興味ないからやめましょうではなくて、やらなきゃしょうがない。もっとも、どうやるかっていう話は最大の難問ですが。

中野

強制的にやるっていうのもひとつの方法ですよね。個人的なことですが、バイオリンを2歳9カ月からやらされて、イヤでイヤでしょうがなかったんですけど、15年くらいたって一通りできるようになって好きにしていいと手を離されたら、面白くなってきました。そういうこともあるので、学生に分厚い本をドーンと渡して、「これを読め」とか、強制はしたくないけれど、やらないといけない局面もあるかもしれませんね。

杉浦

そういう意味ではラボ・アトリエ実習は一見すると応用に見えますが、現場に立たせると、一つは自分の限界に気付かされて、スキルを磨かなくちゃいけないなと思う学生が出てきます。もう一つ、根本的に何か間違っていることに気づく学生も一部いて、その学生たちはゼミに戻ってきて、基本的なことをコツコツやり始めますね。全員がそうであってくれるのが一番いいんですけれども……。
今の若い学生たちは時代変化の中で、早く現場の中でやっていかないと不安なんだと思うんです。小学校から英語だ、プログラムだっていう話になっているほどで、そうやって前のめりに生きている彼ら彼女たちと向き合ううえでは、ちゃんと応急処置をしてあげられるところで、1回こけさせることも大事じゃないかと思うんですよ。そのうえで、筋肉をつけるトレーニングをして、坂道を登る力を身につける。それには、経済学部の先生もいれば哲学の先生もいる、いろんな先生がいます。そこの部分を取り出すなら、総文は総合病院だということですね。

中野

総合病院というキーワードが出ました(笑)。問題解決ができるだけではなくて、問題設定ができること。つまり価値提示・価値創造ができること。そのためにこそ、必要なのが「総合」なのですね。これで第1部を締めさせていただきます。ありがとうございました。

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