第2部
ありがとうございました。みなさんの風景、記憶の中の写真を持って来てくださったわけですが、とくに3人の先生方みなさんは何か微妙なところ、それぞれの人生の大事なところを通っていく感じを持ちました。メルクレイン先生の話では「結婚するから退職します」って言ったときに、ステファンスキ教授が怒ったという場面、あの場所はメルクレイン先生にとってそういう場所だったんだと気づかされた。
フォンデヴィリアさんの話は、フィリピンという国で非常に厳しい幼年時代を過ごし、今筑波を経て総文に来ているんだけれど、何を置いてきたとかはまだ言えない、移動する途中だという感じを持ちました。
ストイロヴァさんの写真は、「ブルガスは私の生まれた土地ですけど、この風景を私がどういう思いで見ているか、あなたたちにはわかりませんよね」とおっしゃっていて、この会はそれを共有するという趣旨なのに、ストイロヴァさんは風景と光景とランドスケープの問題にすり替えて、あの風景を見ているご自身のエモーションはスルーしちゃった。それを教えてくださいよ。
日本にいらして時間が経つと、良い記憶として残っているように見えるし、このように映像で見せていただくと、とてもきれいで、温かいポジティブな感覚を持ちますが、例えばマルコス大統領の悪口は言っちゃいけないとか、そういう不都合で苦しくて悲しいネガティブなものもやはり含んでいますよね? そういう今の自分に抗うようなものをあまり思い出したくない、ということを含んだ上で、風景にはその人自身に迫ってくる力があるのだと感じました。
それともう一つ、第一部の川又先生のときにも疑問に思ったのですが、フォンデヴィリアさんが研究されている日本のポップカルチャーについて、日本人が日本のポップカルチャーを受容しているときと、フィリピンなりヨーロッパのJapan Expoで受容されているときとでは、視点が違っているのではないか。フィリピン、あるいはヨーロッパの価値というフィルターを通して日本のカルチャーを見ていると思うんですね。また世界の人たちは多文化的な観点を大事にしているけれど、日本人がテレビやJポップの歌を聴いたり、日本の文化を見ているときに、多文化的な視点が入っているとはちょっと思えません。