第2部
私はフィリピン出身です。みなさんがフィリピンについてイメージするのは、大空を背景に青い海が広がっているような風景ではないでしょうか? ところが私はメトロマニラのケソンシティ出身の都会育ちです。
青山学院大学総合文化政策学部助教。フィリピン大学美術額部ヴィジュアル・コミュニケーション学科卒業。フィリピン大学大学院修士課程美術史専攻修了。筑波大学大学院博士課程芸術専攻修了。専門は、病院アート、ポップカルチャー。筑波大学芸術系助教を経て2017年より現職。
ケソンシティは高層ビルが林立し、たくさんの車とバスが走っていて、どこも混み合っています。スターバックスは午前2時まで営業しているし、ATMも24時間営業。忙しく、そして眠らない街です。
フィリピンは発展途上国ですから、帰るたびに常に新しくなっています。私は12年間ここ日本にいるので、多くの場所がすっかり変わってしまいました。時折私は、「私が残してきた風景、私が育ったこの街のすべては、もはや私の記憶の中だけだ」という思いにとらわれます。
私は大学を卒業した後、広告会社に勤め、イベントマネージャーとして働き、グラフィックアーティストであり、子供雑誌のイラストレーターでした。美術の教師をしていたこともあります。ビジュアルコミュニケーションと美術で学位を取り、今の仕事にたどり着くまで、私にとっては長い道のりでした。
子供時代にさかのぼりましょう。子供のころ、まわりの大人は、「決して悪いことを言わないように」といつも私に言い聞かせました。いつも静かにしていなさい、と。子供なのでその理由が理解できなかったのですが、大人になって、人々がなぜいつも沈黙していたのかを理解しました。かつては夜も電気をつけず暗いまま。時には隣人が姿を消し、次いで叔父が、さらには私の親戚の何人かが姿を消しました。そのうち何人かは決して戻っては来ませんでした。
1986年、6歳のとき、国を変えた革命がありました。言いたいことを言えるようになり、自由に考えることが、見たいテレビ番組を見ることができるようになりました。
もっともあのころ誕生日は好きではありませんでした。なぜなら私の誕生日は革命の日で祝日だったからです。授業がなかったので、誰も誕生日に私のために歌ってくれませんでした。
子供時代の代表的な日本のアニメが、『超電磁マシーン ボルテスV』や『闘将ダイモス』です。それをマルコスは「ロボットが登場する暴力的なアニメは、子供たちに悪影響を与えるから見てはいけない」と禁止していたのです。革命のことを考えるたび、私はこういったことを思い出し、見たいものを見ることができる自由のすばらしさを想います。でも、現在の私たちは私たちが手にしている自由について真剣には考えていません。
6歳から17歳まではカトリックの女子校に通いました、大学は国立のフィリピン大学へ。制服を着る必要がなくなったので、とても幸せでした、 このほか多くの校則に従う必要がなかったことも幸せでした。言論の自由、思想の自由があり、望むことは何でもすることができたし、たくさんの友達も得ました。もっとも、当時の学校には男の子がいなかったので、男の子に会うことはありませんでしたが。
大学院の博士課程では筑波大学に通いました。ここで私の世界はより大きく、明るいものになりました。日本だけでなく米国、チェコスロバキア、中国、ブラジル、カナダ、その他多くの国の友人と出会い、共感し、食事をともにしもにしました。私たちに共通していたのは、言語と文化を共有するために日本に来たということです。私たちは自由に自分自身を探り、自分自身を再発見できるのです。
私の研究について紹介しましょう。私は芸術と健康に関する研究を行っています。認知症当事者のための芸術プログラムを考えたり、病院の環境を良くするためのワークショップを展開したりしています。
これはイギリスのブリストルにある病院に行き、患者さんの何人かに書道を教えたときの写真です。学生にとっては、イギリスに行くのは初めてで、イギリスの学生や患者さんにとっては日本の文化を学ぶ機会になりました。このような自由なコミュニケーションや文化を共有する自由があることを実感していただきたいと思います。
もう一つの研究は、日本のポップカルチャーと現代美術に関するものです。ここにお持ちしたカナダとアメリカのアーティストの作品を見ると、どちらも日本のポップカルチャーの影響を受けていることがおわかりになるでしょう。日本のポップカルチャーは日本だけのものではありません。それは、姿を変えて変化しています。
こういったことを皆さんに考えてほしいと思います。現在の世界は、必ずしも民主的で政治的にうまくいっているとは限りません、でも、ここにいる私たちは自由な発想、思考の自由を手に入れています。また芸術を通して、変化の自由を知ることもできます。この自由こそ、非常に大切な宝物なのです。