イベント EVENTS REPORTS10周年記念第2回トークイベント|2018年6月23日 〈世界〉渦となって 総文から世界へ/世界から総文へ

10周年記念第2回トークイベント|2018年6月23日

〈世界〉渦となって 総文から世界へ/世界から総文へ

チラシ

第2部

総文と世界:私が残してきた文化と風景

モデレーター&パネリスト:宮澤淳一
パネリスト:イヴォナ・メルクレイン、ハーブ・フォンデヴィリア、ヴィクトリア・ストイロヴァ (企画責任者)
トランス・カナダ・ハイウェイ17号線――グレン・グールド探求

私は自分の出身や過去を述べるのではなく、カナダのピアニスト、グレン・グールドをテーマにお話しします。カナダは私の故郷ではありませんし、私の過去でもありません。よって、"Retrieving the cultural landscape I left behind"という今回の題名の "left behind"(後ろに置いてきた)をむしろ "left forward"(前に置いてきた)と逆転させて、私がグレン・グールドについて調べることがどんな意味を持つかを考えたく思います。

宮澤 淳一

宮澤 淳一Junichi Miyazawa

青山学院大学総合文化政策学部教授。文学研究・音楽学・メディア論。著書に『グレン・グールド論』(春秋社,2004年・吉田秀和賞),『マクルーハンの光景』(みすず書房,2008年)など。小説から映画字幕まで翻訳多数。2008年、本学部創設時に着任。

グレン・グールド(1932-1982)が住んでいたのはトロントです。彼の足跡をたどるのであれば、グレン・グールドの像のあるカナダ放送協会ビルや、彼がよく使っていたレストラン、あるいはトロントのダウンタウンの6km北にあるマウント・プレザント墓地のグールドのお墓を訪ねるのが普通ですが、本日ご紹介するのは、トランス・カナダ・ハイウェイ17号線です。

トランス・カナダ・ハイウェイ17号線は、オンタリオ州のオタワから五大湖の北を通ってスペリオル湖沿いにサンダーベイへ、そしてケローナに至るルートです。グールドはドライブが好きで、このハイウェイを何度も行き来していました。運転していたとき、ラジオからイギリスのポップシンガー、ペトゥラ・クラークの歌が聞こえてきて、すっかりファンになってしまい、「ペトラ・クラーク探求」(The Search for Petula Clark) と名付けられた文章とラジオ番組を残しています。その17号線を、私は、自動車や長距離バスを利用して、2012年9月から10月にかけてたどりました。

ハイウェイからの見通し

一番行きたかったのはワワ(Wawa)という町です。町の入り口にある大きなカナダグース像で有名な場所ですが、人口3000人程度しかいません。19世紀に金や鉄鉱石が採掘されて、五大湖沿岸にある桟橋からアメリカのミシガンあたりに運んだ時代は大いに栄えたようです。グールドがその桟橋を歩きながら話をしている映像が残っていて、それをこの目で確認するために訪れたのです。

そのときの写真がこれです。ほとんど崩れていますが、ここにあったことはわかります。実は私が訪問してから数週間後に大嵐が来て、この残骸は、全部流されてしまったそうです。

スペリオル湖岸の桟橋のあと(ワワの近く)
かつてグールドがこの桟橋を歩いた映像も残されている

ワワは当時、原子力発電所から出た放射性廃棄物を地中に埋める候補地になっていました。つまり、それだけ産業がない場所ということですが、グレン・グールドはこのワワという場所が一番大好きで、ここにいると上昇志向の考え方を忘れさせてくれる、そういうくだらない発想を忘れさせてくれると言っていました。

次にマラソンという町に行きました。フィギュアスケート選手クリス・ヴィルツ(Kris Wirtz)の出身地だということが唯一の自慢で、あとは何もありませんが、かつてはパルプ工場で栄えていました。グールドは、「ペトゥラ・クラーク探求」の中で、この町では、パルプ工場の労働者から工場長までが、地理的に高さの違うところに住んでいて、アメリカの上昇志向をそのまま表現している町であり、ペトゥラ・クラークの歌も、少女の上昇志向が歌われていると語っています。それが本当かどうか、この目で確かめに行ったんです。昔のアーカイブから当時の街の様子を伝える写真をいくつか探し出しました。私が泊まったB&Bは小高い丘の上にあって、あとでわかったのですが、そここそが工場長の邸宅だったのでした。

マラソンの町の古い航空写真

このように、グレン・グールドが書いた記事を追いかけて、長い道のりを旅しました。

では私がやっていたことは何だったのか。ただの観光だったのでしょうか?
「観光」とは、もともとは易経に由来していて、単なるツーリズムより広い概念であり、かつては信仰心が旅の大きな動機でした。それは「巡礼」を意味する pilgrimage にも通じます。つまり、称賛もしくは尊敬する人や物と関連のある場所への巡礼の旅だったのです。語源的に言うと、pilgrimageには「フィールドを通り抜けていく」という意味もあるようです。たしかに私は、観光であり巡礼をし、グレン・グールドの風景を探求しながら、17号線というフィールドを通り抜けたわけです。

こうして考えてみますと、結局、私がやっていることは記憶の回復、風景の回復だと思います。失った人とそれを取り戻す人が違うだけで、グレン・グールドが見ていた風景がどんなものだったのか。彼が体験していろいろ考えたことは何だったのかを再確認する。もちろんグレン・グールドが見た風景と私の見ている風景は、先ほどストイロヴァ先生がおっしゃったように違うけれども、私なりにもう一度、取り戻してみたい。そういうものが私の研究の一部、あるいはほとんど全部を構成しているのです。

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