イベント EVENTS REPORTS10周年記念第2回トークイベント|2018年6月23日 〈世界〉渦となって 総文から世界へ/世界から総文へ

10周年記念第2回トークイベント|2018年6月23日

〈世界〉渦となって 総文から世界へ/世界から総文へ

チラシ

第2部

総文と世界:私が残してきた文化と風景

モデレーター&パネリスト:宮澤淳一
パネリスト:イヴォナ・メルクレイン、ハーブ・フォンデヴィリア、ヴィクトリア・ストイロヴァ (企画責任者)
風景の周縁

私が背後に置いてきた風景について話してほしいという興味深いオファーをいただきました。つまり、「今ここにはない」ということですね。もちろん私は今日本にいますので、ブルガリアの風景を見ることはできません。それは私の記憶の中にだけ存在する風景です。例えばこんな風景です。

ここで私と皆さんは同じ写真を見ていますが、私の脳内に写し出されている風景とみなさんの脳内に写し出されている風景は同じでしょうか? ちょっとわかりにくいので、こちらの図をご覧ください。

風景は私たちの外側に存在していますが、「景色」という言葉は曖昧なので、即物的な光と影の状態を表す言葉として「光景」と呼びたいと思います。光景は物理的で客観的なものですが、目を通して脳内でイメージしたときは、光景ではありません。光景は私たちの記憶を刺激し、その記憶あるいはその光景にまつわる知識が、物理的、客観的な光景に影響を与え、その結果、客観的な光景は主観的な風景となります。

Victoria Stoilova

ヴィクトリア・ストイロヴァVictoria Stoilova

青山学院大学総合文化政策学部助教。ブルガリア・ソフィア大学東洋言語文化学部日本学科第一期生。東京大学大学院研究生を経て、修士課程・博士課程で学ぶ。研究分野は日本文学・思想、比較文学比較文化。研究テーマは『古事記』『日本書紀』解釈史、東アジア古典学、漢文訓読と英文訓読。2015年より現職。

私たちは、知識と記憶とともに風景を見ているというか、それしか見ることができないのではないでしょうか。ですから私たちの脳内に写し出される風景は、一人ひとり違っているはずです。ブルガリアのこの光景は私にとってある種の懐かしさを喚起させる光景ですが、皆さんにとっては懐かしさではなくある種のエキゾチシズムを感じさせるものでしょう。そこに明確なズレがありますが、このズレこそが我々がコミュニケーションを求める根源的な理由ではないかと思います。

誰もが違う風景を見ることしかできない。そこには越えられない溝があります。それをなんとか埋めよう、互いに理解しようとする、それがコミュニケーションの原型だと思います。写真を見ながら語りあううち、次第にズレが生じてきて話が同じではなくなる。そこで自分が見ている風景についてお互いに説明をすることで、次第に互いの事情がわかってくる。そして想像力を働かせて、お互いがどんな風景を見ているのかを想像しあう。そこに深いレベルでの交流が生まれるのです。それはFacebookで「いいね」を付けあうこととはまったく異質のコミュニケーションだろうと思いますし、私が求めているものもそのような質を持つものです。

この写真を撮った場所は、実家から車で2時間ほどの黒海沿岸です。グーグルマップで見ると、大きな赤丸のところです。撮った方向は矢印の方向で、約550km先にクリミア半島の要所のセヴァストポリがあり、さらに十数km東に行くとヤルタがあります。写真の左手はブルガスで、右手はもう少し行くとトルコとの国境となります。

ブルガリアとトルコの国境には数ヶ所の検問所があるだけで、検問所と検問所の間は越えようとすれば簡単に越えられます。このソフトボーダーの近くにレストランがあります。次の写真がそのレストランで、去年の夏ブルガリアに帰ったときにスマートフォンで撮影してきました。ここはベルリンの壁崩壊以前は西側の世界に脱出する人たちが利用していたそうです。しかしベルリンの壁崩壊以降は、脱出する必要がなくなったので誰も訪れなくなり、廃墟のようになったのですが、昨今の移民問題もあって、再び国境警備を強化しよう、壁を作ろうという話も出ているそうですから、そうなるとこのレストランを訪れる人も再び増えるかもしれません。歴史は繰り返すのですね。

ブルガスは私の生まれた町で、ブルガリアの首都ソフィアよりもトルコのイスタンブールに近く、1日に1本しかありませんが、バスに乗ればイスタンブールに行くことができます。

こうした知識に加えて、黒海独特の海の匂い、湿気を帯びた風、遠くからかすかに聞こえる子供たちの笑い声、それらの記憶が先ほどの写真の光景を、私の風景として成立させています。私が見ているその風景をなんとかみなさんと共有しようするとき、今のように、私にとっての風景の周縁を言葉で伝えようとします。それを忍耐強く続けていけば、私たちが見ているこの光景は、少しずつではあっても同じ風景へと重なっていくのではないでしょうか。

私たちが持つ多種多様な知識と記憶が、風景の周縁として、単なる光景を風景に変えるのではないか。私が残してきた風景ということで、こんなことを考えた次第です。

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