プレイベント 2018年2月26日 杉浦勢之教授による特別レクチャー

プレイベント | 2018年2月26日

杉浦勢之教授による特別レクチャー総文創設のいきさつと学部の由来を語る

杉浦勢之Seishi Sugiura

  • 職位:教授
  • 専門:日本経済史(近代日本財政金融史)
21世紀の課題

ということで最後になりますが、これをもってハッピーエンドで終わらせられればよいのですが、近代の知性・組織・学問はやっぱり体系的にはカントから始まっている。そこから、最初は歴史的文脈からちゃんと語ることのできる学部であろうと、いちおう総文は構想されていたということで終われればよいのですが。ところが、21世紀に入って今やポスト・トゥルース、オルタナティヴ・ファクトというものを平然と公的立場の人が言ってしまう時代に突入してきましたので、そういう意味では、やっぱり世界が文脈を失うと、ちょっとまずいというのが出てきてしまっている。国家間はもちろん、都市と地方、異世代間の断絶が非常に進行した10年ということでもあったと思います。そこで分析的に要素分解して、いちおうその関係を4つの歯車で示しておきました。技術(これは人間の身体性を含みます)、コミュニケーション(これは人間の意識を含みます)、都市(これは地方との関係を含みます)、社会の共同性(これは国民国家だけなく集団を含みます)、それらが組み合わさって動いている。この関係図式は人類の歴史を通じていちおう妥当すると考えます。因果関係、何が動因であるかということはひとまずペンディングとして。

2008年 当時の青山キャンパス

この10年間に先鋭に現われたのは、この歯車の速度がそれぞれ大きくずれてしまってきていることです。本当はそこでクラッシュしかねない。現状それを辛うじて受けとめていられるのは、文明の「蓄積」と人間のある意味での「可塑性」なんでしょうが、とにかく技術という〈場〉におけるスピードが急速に早まっている。これまで蓄積されてきたものについても、ものの観方ひとつで一瞬にして正負感情が反転してしまう。加速ということは今に始まったことでなく、これは近代という時代の特徴でもあるわけですが、技術変革が他の歯車のところにダイレクトに衝撃を与え、あたかも動因であるかの如く浸透してきているというのは、やはりITあるいはICT革命のインパクトがあったからです。もちろんそこには大きな「可能性」があります。しかしその一方で、グローバリゼーションとIT革命を通じてワールドワイドに広がるはずであったネットワークが、むしろエコー・チェンバー効果でどんどんコミュニケーションを排他的なものにしていってしまっている。都市が世界のネットワークのノードとなっていくはずが、国家間対立や都市と地方との対立というかたちで政治を激化させてしまう。われわれのアイデンティティも、複数のアバターとなってネット上に散乱している。そもそも「文化」というのは世代間の継承、伝達あっての「文化」です。その文脈がうまく繋がらなくなれば、人間的時間性や共同性そのものが分断されてしまいます。共有すべき「意味」、「意義」、「価値」が参照できなくなってしまう。「様々なる意匠」が語られた時代はまだ牧歌的で、われわれの「記憶」そのものがクラウドの中で漂うようになってしまっている。しかしそれらは現代的特徴を持ちつつ、実はこれまでの人類史の中に共通のものを見出すことはできるのではないか。だから歴史ということ、単に過去の事実を因果的に整理し編んだものという意味でなく、「過去」から「未来」を潜在的に含むものとして持った「現在」までの、幅をもった時間性としての「歴史」ということを、もう一度この時点で考えておく必要があるなと思った所以です。

21世紀の課題とSCCS

未来のことにも少し触れるようにということでいささか困っておりますが、もちろん歯車の中に画いた「傾向性」は、あくまで正負を含みます。それが誰にとってどのような意味で正負として現れるかは〈場〉のあり方を通じて変化します。私は預言者ではありませんので、高みから「未来はこうなんだ」と軽々しく語るつもりはないのですが、それでも21世紀に与えられた「可能性の条件」は次第に見えてきているのではないでしょうか。少子高齢化という日本社会に先行して現れた文明の転換点の特徴も、今ここにあります。ここに「世界」があるのだとすれば、われわれの出発の中に、答えへの道筋はすでに準備されているはずで、そしてわれわれ自身10年という激動をそのただ中で、「時間」と「空間」を共有し、新しい形を提案してきたわけですから、われわれの「苦闘の10年」に、新たな挑戦はすでに準備されてきているだろうということを感じているということを申し述べて、歴史の回顧はいちおう終わりといたします。