イベント EVENTS REPORTS プレイベント|2018年2月26日 杉浦勢之教授による特別レクチャー 総文創設のいきさつと学部の由来を語る

プレイベント | 2018年2月26日

杉浦勢之教授による特別レクチャー総文創設のいきさつと学部の由来を語る

杉浦 勢之
総合文化政策学部という名称

総文という学部のコンセプトを考えるうえでは、学部名称の決定からご説明するのがよろしいかと思います。まず「総合」ですが、これはドイツ語でSyntheseです。これはカントから引いています。日本では「総合判断」というと、何かその辺のものを混ぜて妥協点を探るというニュアンスなのですが、カントは『プロレゴメーナ』で、はっきりと「分析判断」と「総合判断」とを並べて規定しておりますね。第一批判(『純粋理性批判』)と第三批判(『判断力批判』)では若干ニュアンスが違ってきますが、一貫して「総合」ということが重要な役割を担っています。文化ということを考えるうえでは、第三批判の、特に第二部の「目的論的判断力の批判」のところを踏まえますと、「創造性」ということにぎりぎり触れていて、方法的にとても重要になってくるだろうということで、選ばれました。すでにカントの「総合」には「多様における同一性」ということが出てきています。そこを探っていくと「変化」ということが予感される。それがヘーゲルでは歴史哲学になっていきますし、現代哲学では後期フッサールやハイデガーにまで受け継がれていくということがあります。近代の黎明期に大学人として生涯を全うしたカントに敬意を表するということによって、青山学院がヨーロッパ中世に端を発するリベラルアーツ・カレッジを出自としているということともに、しっかりと世界の大学や知の歴史に投錨するものであるということをこれでだいたいマニフェストしたわけです。むろんのことカントについては、「啓蒙主義」、「近代主義」、「ヨーロッパ中心主義」、「人間中心主義」、最近ではカンタン・メイヤスーによる「相関主義」の元祖というゆるがせにできない批判もあります。だからカントをまるまる受け入れるということでなく、それを手すりとし、あるいは踏板として、さらに跳躍していくということでそれは理解してよろしいかなと思っています。

それから「文化」というのは、これを厳密に考えていきますととても難しい。設立時のヒストリーということで聞いていただきたいんですが、個人的には、社会というものを文化と、あるいは経済というものを文化と対立させて思考するということは、近代になって「学」としてカテゴライズされ分化していったものに思考が拘束されているに過ぎず、その根源にあるのは人間的な営みの全般であるといった考えが必要なのではないかと思っておりました。そうでなければ、従来の学部でやればよいだけですので。それを「文化」という言葉で説明するときには、コンテクストとしての文化とテキストとしての文化、そしてその「総合」というふうに言ってきております。

フィールドワークに出る総文1期生の学生たち

文化というと、すぐ思いつくのは芸術や芸能などの作品です。それらはわれわれがつくり上げていくものです。ところが文化というのは、制度等も含め、われわれをつくり上げてきたものでもある。そもそもわれわれが何かを見て判断しているということを可能にしているのは、そこに意味を参照することのできる「文脈としての文化」が存在するからということがあります。そう考えると「文化」には文脈=コンテクストとしての文化と、テキストとしての文化という二つの側面があり、われわれの研究はその両方を実体化=固定化させたり、二項対立でとらえるのではなく、「総合」してとらえていく。つまり、テキストとしての文化が生まれ、そしてコンテクストとしての文化に織り込まれ、そこで育ち、根づくことによって、さらに次の時代を織りなしていくという意味で「総合」なんだというふうになっております。もちろん多様な文化の「総合」ということもここに含意されています。加えていえば、我々の物の観方を規定し、時に経験領域で思考拘束させる諸学問をも方法的に「総合」するということが重ね書きされ、二重、三重の「総合」ということを課題として潜ませているということで考えました。まあさまざまな発火装置を内部に装填した学部名称ですね。

次に政策ですが、これもわれわれの場合、とても難しいところがある。「文化創造」を掲げているわけですが、そもそも「創造」を教えるというのは語義矛盾みたいなもので。あまつさえ「文化」を政策的に展開するということは本当に可能なのか、可能であったとしても歴史文脈的には相当の抵抗感があり得ますし、現に学内にはありました。特に「創造の知」というのは、コピーとしてだけなら簡単ですが、アリストテレス以来、本当は「学」としていちばん厄介で扱いづらいものです。私個人としては、この10年間というのは、ほとんどそのことを考えつづけてきた時間でした。今でも考えております。暫定的結論としては、「未来に〈場〉を与える」ということで今は考えています。過去から現在に繋がる中で実現していない潜勢的力が顕在化する〈場〉と瞬間を捉えるとともに、顕在化したものによってその場を全部占めてしまわないよう深慮する。だから、きれいな答えを出すんじゃなくて、答えを出せる〈場〉、余地をつねに残すよう考え、次世代に繋げていくということ、そういったミッションのための「政策」、エピステーメーに支えられ、テクネーとフロネーシスを備えたあらゆる「術=アート」というふうに考えてはということは、最初の頃、カリキュラム骨子の検討の時期に内部でさんざん議論しました。

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