イベント EVENTS REPORTS 10周年記念第3回トークイベント|2018年11月17日 人間は今どこにいるのか?

10周年記念第3回トークイベント|2018年11月17日

人間は今どこにいるのか?

チラシ

第1部

越境のポリティクス

モデレーター:小林康夫
前半パネリスト:沖本幸子、ヴィクトリア・ストイロヴァ コメンテーター:竹内孝宏
後半パネリスト&インタヴュアー:飯笹佐代子、パネリスト:柳瀬房子、カディサ・ベコム (企画責任者)
〈越境する人々――国境管理の現在〉

「希望を求めて海を渡る 越境を阻む《境界》」飯笹 佐代子

ここからは現実のシリアスな世界に入ります。先ほど小林先生は、「境界は人がつくる」とおっしゃいました。まさにその通りで、歴史をさかのぼってもさまざまな壁がつくられてきたし、最近ではハンガリーとセルビアの国境に難民を阻むフェンスがはられ、またトランプ大統領がメキシコからの違法移民を防ごうと壁の増設を主張しています。近年になり、世界のあちこちで壁が増えたといわれています。人の移動を阻むのは陸上の壁だけではありません。本日は、海に引かれた「境界」、つまり「見えない壁」についてお話します。

飯笹 佐代子

飯笹 佐代子Sayoko Iizasa

研究機関等を経て、2016年より総文・教授。多文化社会論、移動研究(移民・難民)。主な著作に『シティズンシップと多文化国家 オーストラリアから読み解く』(日本経済評論社、2007年、大平正芳記念賞)、『海境を越える人びと 真珠とナマコとアラフラ海』(共編著、2016年、コモンズ)など。

インドネシアからオーストラリアへの密航ルート

皆さんはニュースで、地中海を経由して欧州を目指す難民を乗せた船の映像をご覧になったことがあると思います。「ボートピープル」と呼ばれる人びとは、紛争や迫害、脅威から逃れ、安全と希望の地を求めて海を渡るのですが、命がけの旅です。移動中の死亡事故の多くは、開発途上国から先進国へという南北間の移動途上の海域で起きており、ステファヌ・ロジエールという研究者は「南北人口移動のひとつの通り道である海は、現代の国際人口移動による死亡事故の舞台になっている」とまで表現しています。
実際に地中海では、2016年だけでも5000人以上が亡くなっています。これからお話するオーストラリアとインドネシアの間の海でも、地中海より少ないとはいえ多くの人が航海の途上で命を落としました。
では、どういう人たちがこの海域を渡ったのでしょうか。中東・中央アジア情勢の混乱を背景に、アフガニスタン、イラン、イラク等の出身者が、イスラム教徒に対してヴィザの発給要件が比較的寛容といわれているマレーシアやインドネシアに空路で来たあと、インドネシアの海岸から粗末な密航船でクリスマス島やアシュモア島などのオーストラリア領土を目指すのです。ジャワ島からクリスマス島までは約340キロ、インドネシア最南端のロテ島からアシュモア島までは150キロ足らずの距離です。その目的は、オーストラリア政府に難民申請をするためです。
このような密航ルートは1990年代からできていて、多いときには1年間に2万5000人ものボートピープルが海を渡ったのですが、日本ではあまり報道されていないので、ご存じない方も多いかもしれません。

密航の過酷さについては、アメリカ人のジャーナリストとオランダ人のカメラマンの2人が、命がけで行った取材のルポから知ることができます。彼らはジョージア人の難民に扮して密航斡旋業者の手配によりカブールからインドネシアに渡ってジャワ島で密航船に乗り込み、イラン出身の庇護希望者らとクリスマス島まで航海をともにします。その体験ルポは写真とともに「The Dream Boat」というタイトルで、New York Time Magazineの2013年12月15日号に掲載されています。

ボートピープルを運ぶ海の民と「境界」

密航の出発地の様子について知りたいと、私は2015年8月、ロテ島というティモール海に浮かぶインドネシア最南端の小さな島に、研究仲間たちと一緒に出かけました。
静かな海に突き出した波止場にたむろしている漁師たちに話しかけてみると、驚いたことに、「この間も何十人ものアフガニスタン人をクリスマス島まで運んだよ」とさりげなく語ってくれた人がいました。そして、この島には、密航斡旋業者から依頼されて難民を運ぶ密航船の操縦を請け負い、オーストラリア当局に捕まって刑務所に収監され帰ってきた人が何人もいることがわかったのです。なお、現地での聞き取りはすべてインドネシア語で行われ、日本から同行した研究仲間たちが通訳をしてくれました。

ロテ島から眺める海(筆者撮影)

ロテ島から眺める海(筆者撮影)

日を改めて、別の漁師たちからも詳しい話をきく機会があり、それらを通じて、漁師たちが対峙する、国境とは異なる海の境界の存在が明らかになりました。国家の領海は12海里、接続水域がさらに12海里、そして排他的経済水域(EEZ)が領海基線から200海里ですが、インドネシアとオーストラリアがそれぞれEEZの線を引くと、重なってしまう部分が出てくるんですね。その重なりをどう調整するか。海の底はオーストラリア側、海面はインドネシア側だという捉え方をしている場所や、お互いが主張したままどこに線を引くか決まっていないところもあるんですが、そうした線引きによって、それまで海の民である彼らが自由に漁をしていた生活圏が分断されてしまったのです。

インドネシアとオーストラリアの間で漁業協定が結ばれて、操業してもよいが、いわゆる「伝統的」とされる漁業のみが許可され、エンジンやナビゲーションなどの近代的装備を禁止するといった取り決めがなされました。ナビを持っていないので、ついうっかり禁止区域に入ってしまい、不法操業でオーストラリア当局に逮捕されて長期間収監されてしまう。それによって生活の糧を失った漁師たちがボートピープルを運ぶ密航船の乗組員として密航斡旋業者たちに動員される、という事態も起こっているわけです。あるいは、漁がうまくいかなくなると、よりよい稼ぎを求めたくなります。しかし、船を操縦し、人を違法に越境させて捕まれば有罪になり、オーストラリアの刑務所で過ごすことになります。

入国を阻まれる越境者

では、運ばれたボートピープルの人たちはどうなるのかというと、オーストラリア当局によって追い返されるか、庇護を希望しても、違法に入国しようとしたということで収容され、収容施設にいながら難民認定の審査が行われます。2001年9月以降は、ボートピープルの多くがオーストラリア当局によってマヌス島(パプア・ニューギニア)かナウルに送られ、そこで収容、難民審査が行われるようになりました。これは庇護希望者への懲罰的な措置であり難民条約に反すると国内外から批判され、2008年に一旦中止されますが、密航船の増加により2012年に再開されています。ナウルやマヌス島で正式に難民認定されても第三国からなかなか受け入れてもらえず、何年間も展望のない非人道的な状態に留め置かれている人たちが今も少なからずいます。

近年、ボートピープルはじめ越境する人びとは、世界各地の国境においてますます阻まれるようになり、しかも、そのために平和な民主国家であるにもかかわらず、軍隊までが動員されるようになっています。もしかしたらテロリストかもしれない、「国家主権を脅かす侵入者」かもしれない、という理由からですが、こうした不安感は政治家が煽っている面があります。つい最近も、トランプ大統領が不法移民の流入を阻止するとして、メキシコとアメリカの国境に軍隊を派遣することを決めました。こうした大掛かりな「国境の軍事化」の実質的な意味はほとんどないけれども、人道的な問題を国家安全保障の問題にすりかえることによって、しっかり国境を守っているんだという、国家リーダーとしての存在感を国民にアピールすることができます。国境管理の強化は、越境する人びとをスケープゴートにすることで、実はさまざまな社会不安から国民の目をそらせるための手段として機能しているといえます。

「人類の危機」としての難民問題

世界中で、紛争や暴力、迫害などを含むさまざまな事情により強制移動を強いられた人は、過去5年連続で増加し、2017年末で6850万人、うち、国外に逃れた難民は約2540万人に及ぶというデータがあります(UNHCR:国際連合難民高等弁務官事務所 Global Trends Forced Displacement in 2017 )。ここで強調しておきたいのは、世界人権宣言では移動の権利が明記されていて、出国する権利はあるのに、入国する権利が書かれていないということです。だから迫害や危険から逃れて出国しても、国境で阻止され、どこにも居場所がなくさまよってしまうという事態が生じてしまうのです。
中国出身の現代美術家アイ・ウェイウェイ(艾未未)さんは、「難民危機ではない、人類の危機なんだ」という言い方をしています。そして、ボートピープルを排除する政府に対する抗議のメッセージを込めた作品をいくつも発表しています。

アイ・ウェイウェイ 《安全な通行》と《Reframe》 ヨコハマ・トリエンナーレ2017(撮影:高城佐知子)

アイ・ウェイウェイ 《安全な通行》と《Reframe》 ヨコハマ・トリエンナーレ2017(撮影:高城佐知子)

これは2017年に開催されたヨコハマ・トリエンナーレで展示されたインスタレーションです。会場の一つとなった横浜美術館のエントランスの中央の柱に、実際にボートピープルたちが身につけていた約800着の救命胴衣がくくりつけられ、左右の外壁には救命ボートが並べわれています。彼のメッセージは、日本ではどのように受けとめられたでしょうか。

境界を問い直す視点を

政治学者の杉田敦さんは、「国境線を含め、何らかの境界線を引くことから人は逃れることができない。ただし線引きによって何が排除されているかを絶えず意識し、その線の妥当性を問い続けることはできる」と言っています。境界線を引くということは政治的な行為であり、時に恣意的です。難民なのか、不法移民なのか、その線引きは非常に曖昧で、しばしば時の政治的判断によって決められています。不法(illegal)というのは所与ではなく、illegalised、つまり「不法化された・・・」人びとなわけですね。同様に、先ほど述べたロテ島の海の民も、これまで長い歴史を通じて自由に行っていた漁が、ある日から突然、不法化されてしまった。往々にして、国家による線引きには理不尽さがつきまとっています。
境界線をなくすことはできないかもしれない。だけれど、せめて境界線の恣意性や排除された存在に気付くことによって、境界線の妥当性を問い続けていくことはとても大事なことです。
本日は、オーストラリアとインドネシアを結ぶ海域に着目し、近代国家によって引かれた境界に翻弄される人びとについて取り上げました。最後に、私たちはおしなべて陸史観、つまり陸の中央から国家や世界を見ていますが、逆に海域から眺めてみると全然違う光景が広がります。世界へのまなざしの一つとして、意識してみていただければと思います。

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